言語化能力史上主義 (前半!)
9月14日(月)9:00から
11月5日(木)9:00まで投稿できます
言語化能力が優れている人は思考力やリーダーシップなどの他の能力も高く評価される。 うまく話せない人は、考えていないように見られてしまう。 だから現在、ありとあらゆる面接ではハキハキと喋ることが重要視されるし、書店には言語化に関する本がずらりと並んでいる。 でもその見方って本当に正しいの〜? 言語化能力が低い人って他の能力も低いのか。そんなわけがない!言語化能力がなければ全く評価されない社会では、口が上手い人だけが評価され、評価軸が偏る。 今回は言語化能力が「人の知性や主張」の価値に置き換わっていく社会について考えたい。 けど。その前にまず、言語化とは何か。 そして言語化力とは、何ができる力なのかを考える。 実はこの言語化をとりまく社会の方を本格的に考えるのはまた別の機会。 今回は、「言語とは何か」「言語化とは何か」「伝えるとは何か」「言語化能力とは何か」などを深く学び、後半を学び考えるための論理の足場を整える。
みんなの話へ ↓深めたい問い
みんな自由に考えたり話して欲しい。ここからは僕がどう学びを進めるかを共有する。 言語化力は一つの能力にすぎない。もちろん言語化は誰にとっても必要なことだが、それをもって人格までも評価する昨今の言語化能力史上主義社会は、行き過ぎではないのか? という直感からこのテーマを取り上げることにした。 前後半にわけて進む。 前半では、言語化能力に対する解像度を上げる。それがいいものか悪いものかといった判断はせず、まずそれがどういったものなのかということだけを言語学や心理学、哲学の観点から探究する。 後半では、その言語化能力が社会の中でどういう位置にあり、どんな影響を与え、与えられているのかを学ぶ。その中で、言語化力が低い人が不利な立場に置かれているあるいは置かれやすい現状を見直し、我々の社会における無自覚的な差別構造まで体系的に明らかにする。したい。できるといいな。あ、けど、学んだ結果そんな差別構造はありませんでした!何の問題もありませんでした!ってなるかもしれない。 気をつけたいのは解決しなければならない問題があるという前提で学びを進めることだ。強い目的は問いの形を歪め、引いては学びに対する解釈の形まで歪めてしまいかねないからだ。それでも、おれは、まなぶ。。。
